Hang out

夜にならないとスイッチが入らない。小説のスイッチを入れるために私は恋をする。そして夜を待つ。エネルギーの小さな夜に自分の力が輝くのは当たり前だと思う。日中は苦手だし、夏が苦手だ。太陽のエネルギーは膨大で、さすが自ら光り輝く恒星と言われるだけあるとつくずく感じる。雨の日は調子が良い、雪の日は調子が良い、寒くなることにつれて私の心と体は調子を上げてくる。自分の中からあらゆるものが湧き上がり噴出していくことに快感を感じる。文字にして表していくたびに、自分の指の動きの遅さに苛立つほどに。

冬生まれの私はこの地上で感じたはじめての寒さを恋しがる。雪が降っているあの寒くて陰鬱とした表情がこの世との初対面であったからだ。

私がこの地球ではじめて触れたのは冬であった。夕方で日は暮れていた、おまけに新月だった。一ヶ月後にはハレー彗星が地球に再接近する。私はハレー彗星直前の新月に生まれた。同じ病院では三人の赤ちゃんがその日生まれたそうだ。一人は病気のため他の病院へ転院を余儀なくされ、ひとりは死産となってしまったらしい。私は未熟児で生まれ、そして黄疸を患った。今だに肝臓は強い方ではない。


あの日のエネルギーは小さすぎたのかもしれない。子供が生まれるにしてはあまりにも小さいエネルギーだったのかもしれない。子供は小さく弱い、何も知らないから守ってもらうべき対象である。私はあの三人の中で一番健康だった。生きる力に満たされていたのか、それとも、負けん気が強かったからか。

どちらにせよたくさんの困難を潜り抜けるたびに美しくなっている実感がある。

私は感情的になりやすい。近頃ではそんな自分を利用してこんなふうに文章を書くことが快感になっている。

どこかでも来い、そんな強い気持ちで立っていられる。強くなったわけではない、自分が一掃されて別人になったわけでもない。かつての小ささや弱さはいまだに尾を引いている、私の影隣時々私を引き戻す。まるで髪を引き摺られて連れ戻されるような痛みを感じる。

髪の毛が抜けても前進するのか、その過去を撃ち殺して前進するのか、それともなすがままに後退を許してしまうのか。

誰かの犠牲があったのならそれを踏み台に登るのか、それとも犠牲者を救ったのちに共に上昇するのか、もしくは自分も犠牲者としてそれに平伏すのか。

私なら何を選ぶだろうか?あなたならどれを選び取るだろうか?

立ち尽くし、下界を見下すとき、私はどんな思いでいるのか。

それを誰かにわかってほしいなどとすがるつもりはない。私は私の足で立っている。下界を見下すとき、私は自分がたったひとりでいることに気付かされる。誰もが私に気づかない。それでいい、この孤独こそ世界の真理だと背筋がまた伸びる。

あらゆるものを噴出させたあとの私は雪のように静かにヒラヒラと降り積もる。誰かの目には白く見えていることを祈りながら。





How can you see this edgs as you like? please think about it.

Don't approval hanging others life. Anything I did and I do.

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