居留地

冷え切った視線を向ける方向がない。

右を見ても左を見ても私にとっては興味のないことばかりだ。二人組か、もしくは三人組が眉をひそめる。見ていないようなふりをしながら、舐めるようにこちらに不躾な視線を送ってくる。言いたいことはわかっている。だからあえて私は素知らぬ顔をする。

すべての物事の先が見えて、予測が立てられることを重宝だとありがたがられるが、私としてはつまらないなあと刺激のなさに時々空想に浸ろうと試みる。求められるたびに私は自分を置き去りにしているような気分になる。自分の位置が世界よりも後ろにあると思い込んでいたが随分先に立っているらしい。

ひどい気分だ。

現実逃避をしてみた。私はこの世界の虚像であるとか、私はこの世界のたったひとりのはみだしものであるとか、色々と想像してみたがどれもこれも私を納得するには至らせず、言葉を面白おかしく動かすことを咎められた。

言葉にTPOがあるが作法はない。定型ではないから言葉には人の感情が載せられる、そう反論してみたところでその重鎮とやらは私に点数をくれなかった。

私はあの日からだった気がする、自分を信じ、世界に空虚さを覚えたのは。

誰かに点数をつけられることも表彰されることも実際は重荷であり足枷にしかない。

そんな意味からも私を観察するに二人組かもしくは三人組の視線の元、すこし上に備え付けられている脳みそで私を測量することは難しいだろう。

何も欲しくないと言うと嫌味を言われた。

ありえない、と。

思考は宇宙よりも広いが、科学となった領域だけを現実だと判断してきた脳みそには拡張機能がまだ備え付けられていない。未満である人間と拡張機能を否応なく固定された私であれば差異があって当然だ。行き違いではなく、ドライバーとなる思考の幅があるかないかである。

冷え切った空気に私の心は温まる。懐かしさと愛しさが私の記憶の棚からひとりでに飛び出しては私をみんなでもって温めてくれる。

冷え切った視線を向けようと試みる私を追憶に誘う。思い出の中に私は愛しさと暖かさを見出す。

列車の中で私はイヤフォンを欠かさない。耳に流れ込む情報量は他人に囲まれ緊張状態を形成している最中、あらゆる器官と連携して私の想像を掻き立てる。

五感は時に私を恐怖へ陥れる。

斜めに見たい世の中は私にはない。世界は完璧であるという知恵に到達してしまった体。その世界を斜めに見なければならない理由はない。私にとって世界の完璧さを疑う人々こそ斜めに見たがるように見える。ある種の文化として自己形成の一助をなし利己的に自分を格上げしたがることだと思う。

慣れない、相容れない。

思想の違いを受け入れる器が私にはある。自分のアイデンティティとは別の器として常に用意しているつもりだ。冷え切った視線の向かう先がないことを嘆くのは、物乞いゆえではない。

視線よりもちょっと上にある脳みそで私を推し量る。五感に殺されないようにシャットダウンしながら。


Leave us alone.we love each other so much.You can't understand forever about it.because we are our only family

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